【カヌー】4月からは沖縄を拠点に活動 「どんな状況でも応援してくれた三条には感謝しかない」日本代表・當銘孝仁選手

プロカヌーアスリート・當銘孝仁選手

東京五輪カヌースプリント日本代表でプロカヌーアスリート當銘孝仁(とうめたかのり)選手(32)=アーネスト=は1月1日、公式サイトやSNSに「今後のアスリート活動について」をアップし、「4月以降、家族のいる沖縄県に拠点を移し、選手を継続していく事を決意しました」と表明した。

(投稿/2025年1月16日)

當銘選手は2021年8月に東京オリンピックカヌースプリント競技男子カナディアンシングル(C-1)1000mに出場したが準々決勝で敗退。「メダルを狙うには今の環境では難しい」として『プロアスリート』を目指し、アーネスト株式会社(鈴木一矢代表取締役社長・新潟県三条市福島新田)など複数社のスポンサー企業を得てカヌースプリント競技ではほぼ初めてとなるプロアスリートとしてパリ五輪出場を目指した。スポンサードを得たことで活動資金にも余裕ができトレーニングから食事に至るまで納得のいくものを追求できる環境が整った。独自にスペインやアメリカでの合宿も行い、各国の代表チームや五輪金メダリストなどともトレーニングを重ね十分な強化を図り、昨年4月、海の森水上競技場(東京都江東区)で開催されたパリ五輪出場をかけたアジア大陸予選に「最高のコンディション」(當銘選手)で臨んだが8位となりパリオリンピック出場を逃した。

【カヌー】當銘孝仁選手パリ五輪出場ならず カヌースプリントアジア大陸予選
https://f-spo-neo-tsubasan.jp/2024/04/21/canoe-sp-tome-20240421-03/

アジア大陸予選直後には競技からの引退を示唆する発言もあったが10月の佐賀国民スポーツ大会(国スポ)に出場したほか、プロアスリートとして役割を全うするために、新潟県、沖縄県等で競技力向上支援や地域振興事業に取り組んできた。

沖縄を拠点に競技を続行

「今後のアスリート活動について」では、「多くの励ましのお言葉をいただき、次のステップへ進める気持ちを作る事が出来ました」と応援に感謝し、「悩み抜いた結果、私は2025年4月以降、家族のいる沖縄県に拠点を移し、選手を継続していく事を決意しました」と、活動の拠点を新潟県三条市から沖縄に移して競技を続けていく事を表明した。

「今後のアスリート活動について」當銘孝仁選手

「今後のアスリート活動について」(當銘孝仁公式サイトから)

「今後の・・」発表を受けF-SPOは、2024年の振り返りや今後についてなどを當銘選手に話を聞いた。

限界までやったアジア大陸予選

2024年について當銘選手は「プロとしてしっかり仕事を果たせなかったのはやっぱ悔しい」と話し、「限界までやった」アジア大陸予選の後は「考えるだけで頭が痛いし、めまい」がして「あれ以上何がって言われても正直わかんない」、「勝つための最大なことをやった」と完全燃焼したことを強調。「対応しきれなかった環境とかはあるかもしれない。自分の弱さかもしれない」と振り返った。

アジア大陸予選レース直後に「身を引くべき適切なタイミング」だと競技生活からの引退を示唆したことについては、「もう何もない、できることをやった」と感じ、スポンサー企業との更新前の「ここがタイミングだ」と考えた。そこから気持ちを切り替えてSAGA国スポに出場したのは企業から、今年度はしっかり応援しますって言ってもらえたことが大きく、その思いに報いなければいけない、という気持ちが大きくなったから。

C-1・500mは準決勝敗退、C-1・200mは7位のSAGA国スポでの結果については「良くないですよね」。
「でも、やっぱかなり悔しい気持ち」が湧き上がり、「悔しいと思う気持ちがまだあるんだ。まだ死んではないな。そんならしっかりまたやりたいな」と、競技に向き合うきっかけとなった。

當銘孝仁選手2024シーズンレポート

當銘孝仁選手2024シーズンレポート(當銘孝仁公式サイトから)

まずは生活基盤の確立

沖縄を拠点に活動を始める4月以降については「まずは生活基盤の確立」を目指して「タイミーです」。
「もう単純に働いてみたい」気持ちで「いろいろ経験してから自分がどういうふうなことをやるべきか」を考えたい。「家族いるんでそのために稼いで」、競技については「1日1時間ほど練習に充てるとか」と考えている。語学を勉強する時間も作りながら「将来的に(カヌーの)コーチもやってみたい」。トレーニングジムを経営する構想もある。
10年後に沖縄で開催される国スポにも「関われることがあれば、関わっていきたい」。

ロス五輪を目指す

2025年の競技活動としては日本カヌースプリント選手権大会や国スポへの出場を考えている。2028年のロサンゼルスオリンピック出場を「目指していきたい」とする當銘選手は日本代表に「もちろん、復帰はしたい」。しかし、年間200日〜300日の代表合宿や世界選手権などの海外遠征にかかる費用の多くが自己負担となることから簡単ではない。

三条じゃなかったら五輪出場はできなかった

大学卒業後の2015年から2022年3月まで三条市スポーツ協会に所属した。
7年間の思い出や印象深かったことについては「オリンピックに行けたこと」をあげ、「(カヌーに対する理解がある)ここ(三条)じゃなかったら(五輪出場は)できてなかった」。当時、同協会には日本代表やU23代表などカヌーアスリート4人が在籍していた。その後、プロ活動のためのスポンサー企業探しなどでは同協会の岩瀬晶伍事務局長(当時)や新潟県社会人スポーツ推進協議会が大きく関わったこと、岩瀬さんがマネージメントも担当するなど献身的に支えたことなどに「本当に感謝です」。

3年間のプロ活動はとにかく楽しかった

2022年4月からアーネスト所属のプロアスリートとして3年間活動。
「(カヌー連盟の代表活動から)一人飛び出して活動できてるっていうのを見せたっていうのは、少なからず影響はあったと思うので、良かった」。プロ活動は「とにかく楽しかった」と、同時に大変でもあった。「プロのバスケットボールやサッカー、野球、そこに行き着くにはまだまだ。本当に自分の活動は第一歩なんだろうなって思った」。

本当に感謝しかない

三条を拠点にした活動がひと区切りとなる。
「ここまで支えてもらったからここまでやれた」と三条や新潟から応援してくれた人たちに感謝し、「おとなしい方が多いのかなと思っていた新潟の人たちも、もう明るくて楽しい人が多いし、“飲みに行こうよ”と誘ってくれる人も増えてきた」、「どんな状況でも応援してくれた。関わった全ての人に本当に感謝の思いしかない」と語った。

今後、三条とは「プツンと切れるんじゃなくて」、SUP教室などで来条したり、「沖縄で“燕三条”のすごい製品を知らない人も多いので、繋ぐことができたら」ということも考えている。

ロスに連れて行って!

三条市スポーツ協会の中條耕太郎会長は當銘選手について「ひたむきなアスリートで世界を目指しているという姿。毎日毎日コツコツやられてる姿を見せないという綺麗な生き方をされているなという印象」で「泥臭い部分もまざまざと語っていた」。「心はずっと三条で一緒のつもり。これからもずっと一緒にスポーツの活動、振興にご協力いただき、現役を続けながら頑張っていただきたい」とコメント。ロス五輪を目指す當銘選手に向けて「ロスに行きたい。ロスに連れて行ってください!」と五輪出場を期待した。

三条市スポーツ協会の名前で五輪に出てくれたことがすごく嬉しかった

當銘選手の三条での9年間の活動を支えた三条市スポーツ協会の岩瀬晶伍常務理事は「一言では言い尽くせないが、スポーツ協会という名前を背負ってオリンピックに出てくれたっていうことは本当にすごく嬉しかった」、その後のプロとしての3年間については「なかなかオリンピアンのプロ化をサポートできる機会はない。そんな機会を与えてくれて、夢を一緒に見させてくれたのはすごく嬉しかった」、「僕もありがとうっていう気持ちが強い」と述べた。東京五輪が終わってからプロ化を目指した3年間では「企業回りが正直苦しかった」とし、「実現したかった部分、でもできなかった部分、もっとやれることがいっぱいあった」と心残りを滲ませた。今後については「何らかの形でこの地域に残ってもらえるような取り組みをしていく」ことを検討している。


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